日本同盟基督教団 金沢中央教会伝道所 

金沢めぐみ教会

2024年3月15日

十字架をLED化しました
1月1日に起こった地震の被災地教会支援として行っていただきました
エゼルミニストリーのジョン様、支援を感謝いたします

教会員一同、あなたとの出会いを
楽しみにしています

  お知らせ 

☆2026年4月から第3日曜日に黒部キリスト教会で片山牧師の説教が開始⇒集会案内
☆2026年3月29日アメリカシアトルの宣教チームによるパントマイム⇒イベント情報
☆2026年2月15日シム・ナンヨンさんによる賛美礼拝⇒イベント情報
☆2026年の中心聖句、年間標語を掲載⇒ホーム 

☆2025年クリスマスイベントをおこないました⇒イベント情報
☆2025年8月3日 洗礼式を行いました⇒イベント情報
☆2025年5月11日 イ・ユンファさんによる賛美礼拝⇒イベント情報
☆教会員の救いの証しを定期的に掲載していきます⇒ホーム
☆牧師の救いの証しを掲載しました ⇒ホーム
☆2024年3月15日 被災地支援として十字架をLED化していただきました⇒ホーム

                                                                                                                         

 更新 2026/5/16


牧師の片山修司と申します 

   金沢めぐみ教会は、2000年に日本同盟基督教団金沢中央教会の伝道所として始まりました。2020年4月に開設20周年を迎えました。
 
   金沢市の北部(福久東)にあるアットホームな教会です。毎週日曜日には子どもから大人まで集い礼拝をささげています。
 
   教会では毎月の最終週の日曜日に、ウェルカム礼拝をしています。聖書のみことばを分かりやすくお話ししていますので、初めてだけど、礼拝に参加したいと思っている方にぜひどうぞ。
日曜礼拝(午前と夜)の他に、水曜祈祷会(午前と夜)、ジョイキッズ(子ども会)、クッキング教室、コンサートなど様々なイベントがあります。
 
 教会に行くのは初めてという方、まだ聖書を読んだことがない方、少し教会から足が遠のいてしまっていた方も、どなたにも開かれた場所ですので、ぜひ一度いらしてください。教会員一同、あなたとの出会いを楽しみにしております。
 
 私たちの教会は、福音派の信仰に立つプロテスタント教会です

感染予防対策として、隣とは距離を開けて座り、窓を開けて換気をしています
  聖餐式は、使い捨ての容器を使用し配り方、片づけ方を工夫して行っています

  毎月行っている食事会は、お弁当を配布し、使い捨ての容器を使用しています
  マスクの着用は個人の自由です 

救いの証し 

  牧師 片山修司

 
「はじめに神が天と地を創造された。」(旧約聖書 創世記1章1節) 
 
 私がなぜクリスチャンになったのかをお話ししたいと思います。私は、大学に入学したのを機に初めて親元(大阪)を離れ、金沢で一人暮らしをするようになりました。大学では、様々な友人ができましたが、その中の一人の人がクリスチャンでした。彼は、私に聖書のことを教えてくれました。私は、初めて聞く聖書の話しに驚きを覚えました。というのも、そのクリスチャンの人は、「この世界は、神様が創った。」と語ったからです。彼は、そのことを何の疑いもなしに信じていました。 
私は、このことばに、大変な衝撃を受けました。それは、そのことばをすぐに理解したからでなく、「神様が世界を創った。」などと、「この科学の発達した時代によくも信じることができたものだ」と驚いたからです。当時私は、理系の学生で、科学を信じていましたし、すべては、科学によって説明ができると思っていたのです。ですから、「この世界が神様によって創られた。」という考えは、科学の発達していない昔の考えであると思っていたのです。 
私は、なぜ彼がそのように考えるに至ったのかを考えました。そして、考えた結果、彼がクリスチャンホームに生まれ、そのような環境で育った為だと結論づけました。つまり、生まれた環境によって、「神が世界を創った。」と信じるようになったのであって、事実とは異なっていると私は考えたのです。 
 しかし、私自身、友人の姉の事故死によって、人生の土台が揺さぶられ、何のために生きるのかを考え、悩むことがありました。そんな時、いつも聖書の話しをしてくれたのが、クリスチャンの彼でした。私は、その時は、理解できずに、むしろ反発を覚えることもあったり、ひとつの考え方だとも思ったりしました。けれども、私自身、自分の内面の醜さを知るようになり、人生に行き詰まることとなりました。その時に、彼のことを思い出し、聖書には何かが書かれているのではないかと思い、自分でキリスト教書店に行き聖書を買って読みました。 
私は、生まれて初めて聖書というものを読んだのですが、聖書に書かれている大切なことが分かりました。それは、「この世界には、神が存在していて、その神が、取るに足りない自分をも愛して下さっているのだ。」ということです。私は、人生の土台を失い、人生に失望しようとしている中で、聖書によって、神の存在とその神の愛を知ったのです。それは、私の人生を大きく変えてゆくことになりました。 
その後、数ヶ月して教会に通うようになり、自分自身が罪人で、イエス・キリストの十字架の救いを必要としていることが、はっきりと分かるようになりました。そして、イエス・キリストを信じる決断をし、1989年7月2日に浅ノ川上流で洗礼を受けてクリスチャンとなりました。 


教会員の救いの証し

60代 男性 S

 
 私は、4人家族の次男で一般的な浄土真宗の家庭で育ちました。父親は、自衛官でお酒が好きで飲むと気に入らない事があると口より先に手が出るような人でした。私は、父親に怒られないように、気を付けながら普通に生活していました。そんな私でしたが、高校に入学した頃、部活の帰りに立ち寄った書店で消しゴムを万引きしてしまいました。特に欲しかった訳でもないのに、お店の方が忙しくしている姿を見て、そのまま上着のポケットに入れて持ち帰ったのです。 
 なんともいえない暗い気持ちで、誰かに見られているような気がして、消しゴムは帰宅途中に捨ててしまいました。寝床についても眠りにつけず、自分がなんと弱い人間で、自分を律することも出来ない事を痛感しました。 
 悶々とした高校生活を過ごしていたある日、部活の早朝練習があり、いつもより早く教室へ行くと、Hさんというクラスメイトが教室の掃除をしていたのです。誰も見ていない教室を何故。何のために。このHさんがクリスチャンである事を知り、私はキリスト教に興味を持ち始めました。このHさんに誘われて大学の時に教会の伝道会にも参加しましたが、信仰を持つのは弱い人間のすることという偏見がありました。 
 そうこうするうちに、就職し結婚して子供も授かり、幸せな家庭生活を送っていました。そんな時、長男の右目が涙道閉塞と診断され、簡単な手術を受けることになりました。まだ、あどけなさが残る長男は母親に抱かれて治療室に入っていきました。次の瞬間、大きな泣き声が聞こえ、しばらくして治療を終えた長男が戻って来ましたが、私の顔を見るなり、しがみついてきました。 
 「おとうさん。痛いよ。どうして、こんな痛い思いをするの。ぼく、何か悪いことをした。」とまだ言葉を話せない長男が私に訴え掛けてきました。 
「ごめんよ。痛い思いをさせて。おまえは、悪くない。悪いのはお父さんだ。」 
私は、この出来事を通して、自分が罪人であり、私の罪のためにイエス・キリストが私の代わりに十字架にかかって下さった事を信じました。 
 
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」 (ヨハネの福音書3章16節) 


50代 女性 M


  私はクリスチャンホームに生まれました。曾祖母からクリスチャンでしたので私はクリスチャン4世になります。両親は熱心なクリスチャンで私も小さな頃から教会学校に通っていました。教会学校では聖書に書かれているお話をよく聞きました。神さまによって天地が創造され人間も造られたこと、モーセがイスラエルの人々を連れてエジプトから逃げる時に海が真っ二つに割れたこと、イエス様が十字架にかかり亡くなったが3日後によみがえったことなどです。子供にとっては不思議なおとぎ話のようでした。 
 高校2年生の時に教会で主催された夏のキャンプに参加しました。その時の話に聖書には“戦争や戦争のうわさを聞くことになりますが、・・・そういうことは必ず起こります・・”と書かれており、それが現実に起こっていることを聞きました。また、聖書には“「キリストイエスは罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値するものです”とあります。この言葉が私の心にスーと入ってきました。子供の頃から聞いていた沢山の聖書の言葉は真実なことなんだ、それを信じて生きていけばいいんだと思いました。私はその年の10月に洗礼を受けました。 



50代 男性 N

 

  私の幼少時代から、両親は飲食店を経営していました。家族の安らぎの時間はなく、かまってもらえず、躾もされていません。家にはずっと他人(お客さん)がいて、いやがおうにも大人の世界がありました。子供心に自分の居場所、心のよりどころを求めていたと思います。そんな中でも宗教的な教えはありました。父は先祖代々の仏教信仰を大切にしており、お坊さんの友人が何人かいました。母はキリスト教の教会員だったのですが、教会の礼拝には年に何回かしか、出席できていませんでした。心配して教会の牧師さんがよく訪問されていました。ですから、お坊さん・牧師さんが交互に入れ替わり家に来ていました。私は将来は仏教かキリスト教のどちらかに入信するだろうと考えました。 

  そのような中で、小学校4年生の時、若い男性の先生が学校に赴任してきました。直接クラスはもたれませんでしたが、学校どころか町会全体に新しい風をもちこんだ存在でした。またたく間に子ども、親の心をつかみました。楽しさ、優しさ、とらわれない自由、人を裏切らない愛、信頼がありました。休み時間は何十人ものこどもに囲まれ、独演会。下校時は何十人の子どもの先頭を進んで歩いていました。「この先生の力はどこからくるのだろうか」。ある時久しぶりに、母に連れられ教会に行ったときその先生がいたのです。先生はクリスチャンだったのです。私は紹介され日曜学校を受け持っていただくことになり、毎週バスと徒歩で一時間かけて通い続け今や40年。受洗しており今日に至っています。 

  教会で聖書を学び、クリスチャンの仲間が与えられ、祈ってもらえる励まし。しかし何よりもイエス・キリストが与えられました。その基本、「人は死ぬことと、死後にさばきを受けることが定められている。しかし、人間のために神の子であるイエス・キリストが地上に来られ、身代わりの罰を受けて下さった。それを信じれば、さばきから守られ永遠のいのち、地上の生涯もイエス・キリストがともにいて下さる」

 

2026年 

中心聖句

 主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』 

マタイの福音書25章21節と23節

年間標語

 主人の喜びをともに喜ぶ

     今年の中心聖句は、「主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」(マタイの福音書25章21節と23節)です。年間標語は、「主人の喜びをともに喜ぶ」です。

 今は、終末の時代と言われています。終末の時代にあって私たちは、どのように生きていけばよいのでしょうか?まず何よりも大切にしなければならないのは、神のみこころを実現するということです。私たちに対する神のみこころとは何でしょうか。それは、私たちが神に対して忠実な信仰を持ち、神から与えられたなすべきことを果たすということです。それが、神にとって喜びであり、その神の喜びをともに喜ぶことが私たちの生きがいとなるのです。ですから、神に対して忠実な信仰を持ち、神から与えられた成すべきことを果たす1年となるように祈って行きたいと思います。 

礼拝などを共に守っている
仲間たちです

講壇
毎週、牧師より神さまのお話を聞き、礼拝をしています

集会場
祈祷会や各種イベントに使用

母子室

礼拝堂とはガラス窓で仕切られており、スピーカーを通してメッセージを聞くことが出来ます。小さなお子さんもお母さんと一緒に安心して礼拝ができます

車いす用トイレも完備

集会案内

主日礼拝、祈祷会、教会学校(ジョイキッズ)

イベント情報

 
クリスマスイベント・趙泳相師礼拝・チェドクシン師賛美コンサート礼拝・春季教会修養会・ 進学進級式・洗礼式・
中高生イースターパーティー・クッキング教室

  よくある質問

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